柴村仁(しばむらじん)/E.a.G. (電撃文庫)

E.a.G. (電撃文庫)

E.a.G. (電撃文庫)

2007年2月25日初版
話:★★★☆☆、絵(イラスト:也(なり)):★★★☆☆
 「我が家のお稲荷さま。 (電撃文庫)」の作者が放つ新ストーリーです。読み終わって、書店のカバーをはずし表紙絵を見た瞬間、思わず「えっ」となりました。主人公のゴドーと思われる男の姿が想像以上に若かったのです。もちろん本を買う時にも絵は見ていたはずだし、読み始めにも連続してイラストが入っていたのですが、まったくゴドーをそれと思わずに最後まで読んでしまいました。イメージはもっと大人で孤児院時代の暗い影は見せず、渋い雰囲気から、ヒロインのキアラ(体だけですが)が頼りたくなるような30過ぎの男でした。もうちょっと体格もがっちりしたイメージでした。むしろそんな男がキアラの体を大事に思うそぶりや、からかわれて動揺するかわいげな面を見せるところがキャラクタの側面を見せておもしろいと思っていたくらいでした。勝手に思い込んでいたとはいえ、これにはかなり違和感ありました。
 それから、キアラという少女の体を後にDと呼ばれる思念体(文中では別の言葉があてられていますが)が乗っ取ったことにどんな意味があったのだろうとずっと考えていました。見た目女の子なのに、言葉も行動も男そのものであるギャップを楽しみたかったのか意図はわかりませんが、むしろ私は絵に頼れない小説でこういう設定を生かすのは難しいし、実際読んでいても男ことばからのイメージが強く、実際には女の子である雰囲気があまり感じられませんでした。確かに、ゴドーからはどんな場面でもそれを思い出させるためかのようにキアラの体を思いやる言葉をかけてくるし、月経など女故のミニトラブルなど読者に意識させる努力はしていると思います。でも、私はそれでも違和感が最後まで残りました。それほど言葉の支配力は強いと思うんです、小説では。
 こういうことを含めて作家の挑戦だったと考えると、応援したくはなりますが、やはり評価は平凡な点になってしまいました。たとえば、ときどき眠っているはずのキアラがたまに表に出てくる設定にするのもおもしろいんじゃないかと思うんです。人の作品に意見するなど失礼な話だとは思いますが、これらの点が残念に感じました。
 ラノベジャンルとしてはやや長い400ページ近いボリュームを最後まで読ませる力など評価する点も少なくないだけに勝手な苦言を書いてしまいました。